アーユルヴェーダに興味を持った理由

ヨガの先生との出会いがきっかけ

私がアーユルヴェーダに興味を持ったきっかけは、ヨガの先生がよくその話をしていたからです。

オンラインサロンでお世話になっていた先生は、

「アーユルヴェーダは白湯を飲んでおけばOK!」

というように、ライトな感じで話していました。

ドーシャにも触れていて、

「自分はアーユルヴェーダでいうピッタタイプで、他にも2タイプに分かれている」

と教えてくれました。

ドーシャ診断との出会い

その話を聞いて、なんとなく興味を持った私は「占いみたいで面白そう」と思い、ネットで見つけたドーシャ診断を試してみることに。

結果、私はヴァータタイプでした。

その解説が意外と当たっていると感じ、楽しんで読みました。

アーユルヴェーダのイメージが変わる

アーユルヴェーダに対する最初のイメージは、東南アジアのエステのようなものでした。

しかし、ネットでドーシャ診断をやってみて、「アーユルヴェーダって性格や体質の診断もできるんだ」と驚きました。

足を踏み入れてみると、そこには歴史や理屈、定義、スピリチュアルな要素が広がっていて、驚きの連続でした。

ドーシャ診断がただの占いではなく、理由や理論があると知った時、私はアーユルヴェーダにもう一段階深く惹かれるようになりました。

アーユルヴェーダの奥深さ

メイクも自己流で塗るより、アイシャドウの塗り方や眉毛の描き方を学ぶことで、仕上がりがレベルアップします。

それと同じように、アーユルヴェーダもただ知るだけではなく、その背景にある理論を理解することで、より深く味わえるようになります。

インドでは多くの言語が話されており、定義を大事にする文化があるそうです。

アーユルヴェーダは、健康な体と心、そして人生を幸せに送るための学問です。

これを知ることで、人生がもっと生きやすく、楽しくなるかもしれない。そう思った時から、私はアーユルヴェーダにどうしようもなく惹かれていました。

そもそも健康に興味を持ったのは

突然ですが、健康に興味はありますか?

誰しも病気にかかりたくない、元気でいたいとは思っているのですが、いざとなれば病院へ行って治すと考えているのではないでしょうか。

私もそうでした。ですが、出産して赤子を育てていると、体も心もすごくつらいのに、病院へ行って治すこともじっと休むこともできませんでした。

産後ブルーがひどくなり、産後うつの手前でした。

病院では限界があると感じた瞬間

漢方が得意な婦人科に出会い快復へと向かうまでは、内科の先生に「赤ちゃんを子育て中のお母さんに出せる薬はない」と言われたこともありました。

ここで私が感じたことは、病気になってつらくても、病院に行って薬や手術でラクになれるというのは一部のルートであり、そのままつらさや不具合、不自由を抱えて生活する場合もあるのだということでした。

そして、年齢を重ねていけば、様々な病気にかかるリスクは高くなるであろうことは明白ですし、何より体もだんだんと弱くなっていくことは避けられないということをありありと感じました。

出産をきっかけに健康への考え方が変わる

産後の母親は、全治2ヶ月または全治8ヶ月の大けがを負った状態と同じくらいダメージを受けていると言われていますが、私は自分のからだが急激に老け込んでしまったと感じました。

その経験があるため、高齢になることを疑似体験した訳ですから、健康と元気に動けることのありがたみが増大しました。

病気になってしまったら、高齢になったら、とおびえて生きるのではなく、自分でできることはやっていきたいといつのまにか考えるようになっていました。

アーユルヴェーダとの出会い

そんな折に、アーユルヴェーダと出会い、その細やかな指導や調和のとれた状態を目指すという理念に「これならできるかもしれないし、こういう生活は正しい」と腑に落ちたのです。

アーユルヴェーダはひとつひとつの教えは、どちらかというと地味ですし、おばあちゃんの知恵袋みたいと言われます。

私は祖母がいましたが、本にその内容が残っているわけでもないので、むしろそういう知恵はあまり知りません。

アーユルヴェーダのある生活

疲れ切ってしまった時に「自炊をしましょう」と言われても、そりゃ良いのはわかっているんだけど…と思いながらも、「じゃあ、どうして自炊がいいのか説明して」と言われると実はあまりわかっていなかったように思います。

アーユルヴェーダは、健康に生きるという目標を叶えるために、伴走してくれる存在となりました。

今では本を読んだり、毎日の食事を作ったり、体にオイルを塗ったりと、アーユルヴェーダを日々の生活に取り入れています。

人生を健康に、そして幸せに生きるための教えに触れながら、これからもこの学問を探求していこうと思います。